ここ“仁科の里”は古く11世紀には仁科の御厨が置かれ、平安時代末から仁科氏が地域開発を進め、戦国時代1582年、織田信長軍に滅ぼされるまで、500年余に亘り大北地域を中心に社会と文化の発展に尽くしてまいりました。
ことに仁科文化の中心として社地区は宮本に国宝仁科神明宮が、曽根原には盛蓮寺、閏田には山寺廃寺の遺構、館の内には居館が永きに亘り置かれておりました。また山下には丹生子に関所と山城が置かれ、浄福寺には平安中期の聖観音立像(現在は弾誓寺)があり、日本最古銘(安貞2年1228年)のある鉄製の鰐口(重要文化財)が出土しました(山岳博物館蔵)。松崎には仁科氏ゆかりの古城、丑立の館(薬師寺)が置かれています。横堰や居谷里堰は仁科氏が開削した堰で、社地区の農業にはなくてはならない存在となっています。
令和2年12月12日、社公民館・市文化財センター主催の木舟城探索の催しには市内各地より40人余が参加し、県内最大規模の山城と言われる「木舟城」に登城し、その威容に感嘆の声を上げました。この史跡をこのまま埋もれさせてはならないと多くの参加者が感じたところです。
社地区はそのような歴史的背景の中で育まれた風土と文化を培ってまいりました。
現在、ここに生活している私達に与えられた責務は大きなものがあります。関係各位の理解と協力を得、地域の魅力を広く発信することにより郷土愛の醸成、地域の発展に資することを目的とする「木舟城研究会」を設立し、木舟城の研究・解明と史跡指定をめざし整備保存と研究、学習を進めることとしました。