木舟城とは

県内最大級の山城とされる「北城・南城(通称・木舟城)」については、まだ分からない点が幾つかありますが、2004年に、大町市制50周年に合わせて発刊された『ふるさと発見 大町市の歴史』(一草舎) では…、「信濃屈指の山城跡」と題して、次のように記述されています。

大町市社地区木舟集落の東の山に、館之内に居館した当時の仁科氏の本城が築かれた。鳥屋沢を挟んで北城と南城、さらに南の二つの尾根におびただしい数の大小の曲輪と空掘が設けられ、東の平坦な尾根先に搦手(からめて)として青木城がある。城の中心部にあたる主郭は、北城の尾根と南城の尾根が合わさるあたりの東の部分で、標高926メートル、木舟集落からの比高200メートルである。主郭は上幅7メートルの大きな空掘を間にした、36×7、30×6、43×21メートルの大きな三つの曲線から成る。主郭と北城の間には、城平(じょうびら※1)とよばれる広い緩傾斜と鳥屋沢の源流となる湧水がある。城を守る武士たちの生活領域であろう。この城は平安後期から戦国時代末期に至るまで、増設や改修を繰り返しながら使用したものと思われる。鎌倉時代後期、仁科氏が居館を大町の現天正寺の地に移した後は、その重要性は著しく減ったとみられるが、南方に対する拠点として、仁科氏滅亡まで使用されていたようである。

『ふるさと発見 大町市の歴史』(一草舎)

註…原文は縦書き。算用数字に変えてあります。
※1…このように記されていますが、「城の平(じょうのだいら)」のことと思われます。

今後、更なる詳しい研究が待ち望まれます。

木舟城散策マップ

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